誘拐結婚

誘拐結婚

 日本は平和だ。と思わずには居られませんが
日本では昔、武士層にはそれらしき習慣があったようで、権力を使い、めぼしい女性と結婚する。
鹿児島の奇習「おっとい嫁じょ」とは
 鹿児島県の大隅半島周辺ではかつて「おっとい嫁じょ」なる奇習が存在した。地元方言で「おっとる」というのは「盗む」の意味で、「おっとい嫁じょ」を標準語に直訳するならば「嫁盗み」。
 簡単にいうと、結婚に不同意な女性を強姦して妻にするという驚くべき風習なのだ。今よりも女性の貞操観念の強かった時代では、強姦された「傷物」の女性は嫁ぎにくくなるため、結果として被害女性もその親も渋々、加害男性との結婚を承諾するということなのである。そして第二次世界大戦後の1959年、この風習が全国的に知られる事件が発生した。
誘拐婚というか、日本の方がたち悪いような気がする。
 キルギスの誘拐結婚は、実に複雑なものだ。そこには、キルギスの村社会の人間関係、価値観、遊牧時代からの歴史が絡み合っている。前編で紹介したファリーダやアイティレックが誘拐された現場に居合わせたときには、キルギスで取材を始めて2カ月余りがたち、その複雑さがわかってきていたが、取材を始めた当初はなかなか理解できずにいた。
 なかでもよくわからなかったのが、誘拐され、結婚を承諾するキルギスの女性たちの気持ちだ。誘拐結婚についてよく尋ねられることに、「なぜ誘拐されたキルギスの女性たちは、逃げずに結婚を受け入れるのか」というものがある。自分が誘拐されたら、どんな手段を使ってでもその場から逃げる。女性ならそう考えるのが普通だろう。私もそうだった。
 18歳になったばかりのチョルポンに出会ったのは、キルギスで取材を始めて間もない2012年7月6日。取材に同行していた運転手から、友人の弟が前日に女性を誘拐し、翌7日に結婚式を挙げると聞き、急きょ取材に向かった。そこにいたのが彼女だった。
 驚いたことに、チョルポンは笑顔で部屋に入ってきた。客が来ると胸に手を当て、ほほ笑んで深々とお辞儀をして迎える。とても2日前に誘拐されたばかりの女性には見えなかった。しかし、独りになると急に表情が暗くなり、肩を落として考え込んでいた。冒頭の写真は、彼女が独りでいたときに撮った1枚だ。
 チョルポンを誘拐したのは、23歳のアマン。誘拐の2カ月前の2012年5月、町で彼女を見かけ、一目ぼれをしたのだという。二人が顔を合わせたのは、誘拐当日までで、たったの3回だ。誘拐されたチョルポンは、遠く離れたアマンの家に連れ込まれ、6時間抵抗しつづけたが、最後には結婚を受け入れた。
 なぜ、アマンとの結婚を受け入れたのか。そう尋ねると、チョルポンはこう答えた。「結婚は早すぎたと思います。でも、キルギスの女性にとって、いったん男性の家に入った後に、そこから出るのは恥ずかしいことなんです。高齢の女性にも説得されました。高齢の女性を敬うのはキルギスの伝統です。結婚を拒否して実家に帰ると、両親に恥をかかせてしまうので、あきらめて結婚を受け入れました」
 キルギスの取材を始めた直後にチョルポンと出会ったことで、誘拐結婚という行為そのものの実態を取材することも大事だが、誘拐結婚に直面した女性の心の葛藤をもっと知りたい、と強く思うようになった。誘拐され、悩み、結婚を受け入れた後、ほとんど何も知らない夫やその親族との生活にどう入っていくのか。誰も知り合いのいない村社会で、近所付き合いはどうしていくのか。
 それには、誘拐の瞬間や、結婚式の前後だけでなく、もっと長い期間、誘拐で結婚した女性に密着して取材することが必要だと痛感した。その機会は、2012年の取材の最後に訪れた。次のエピソードでは、私に心の葛藤を見せてくれたある女性を紹介する。